ヒストリー
1951年、名取市閖上にて魚の仲買商として創業して以来、閖上一筋で小売業、飲食業を展開して参りました。
1993年には「漁亭 浜や」をオープンし、すべてが順調に進んでいました。
しかし、2011年3月11日、東日本大震災により全てが津波に流され、私たちは倒産の危機を迎えました。
閖上に住む私たちにとって、あの3.11の大津波は全てを飲み込み流し去りました。
会社も家も、長年つとめてくれたスタッフも、大切な友人も…。悲しすぎる出来事でした。
3月11日午後、いつもの通りお昼の営業を終え、スタッフと遅い昼食をいただいておりました。
そのとき、今までに体験したことのないような大きな地震が私たちを襲いました。
幸い、お客様やスタッフにけがはありませんでした。
しかし、この恐ろしい揺れに悪い予感を感じ、全スタッフには家に帰っていただき、家族には何かあった時のために避難所に避難をするよう言い、私は消防団として地域を駆け回りました。
地震発生から数十分すぎた頃、とてつもない大津波が襲ってくるという情報が入りました。
避難所であった公民館も危険だということで、公民館から数百メートル離れた閖上中学校に住人が逃げました。道路は大渋滞、街は混乱の状況を呈していました。私はお店に戻り、避難の準備をしました。私が店を出て、避難所へ向かうと大渋滞。刻一刻と時が過ぎ、うなりをあげながら迫ってくる津波を感じ、家族を乗せ一気に私は反対側の車線にアクセルを吹かしました。後は必死です。津波を後ろに見ながら、車を走らせ分かれ道、その時、閖上大橋の坂の所のスペースが目に止まりました。あとは覚えていません。気づいた時は閖上大橋のたもとに佇み、津波がどんどん街を飲み込んでいく光景をじっと見つめていました。
間一髪のところで助かったのです。
完全に危ない状況の中、奇跡のように助かりました。振り返ってみると、私は助かったことが偶然とは思えません。私は考えました。どうして生かされたのかと。避難所の生活の中で、必死で大変でしたが、皆さんの暖かい励ましやお声をいただく中で、この命を津波ですべてを失った「閖上の復興」に捧げるのだという心の声を聞いたような気がします。
2011年8月には復興第一弾として長町に「浜や2号店」をオープンすることができ、そして、同年11月には仙台駅のエスパル地下に3号店をオープンすることができました。
閖上の街がなくなって以来、「閖上の架け橋になろう!」これを大きなテーマに、店舗を運営させていただいております。 閖上が長い間培って来たたくさんの「うまいもん」を全国に発信し続け、復興への歩みを止めることなく、共に進めていきます。「閖上浜の心活き」を感じていただけるよう、お客様には食を通じて感動や喜びを味わっていただき、地域の方々には必要とされ、社員はこの会社に入って良かった、仕事をしてよかったと思ってもらえるような会社にしていきます。